私はこの作品で描かれているフェミニズムは現在においては十分ではないということは理解しています。
この作品世界はジェンダーについては今読んでも十分通用する要素が描かれている一方で、セックスの領域はほとんど扱っていません。
それでも、この作品は私のフェミニズム的発想の原点であり、今でも基準点・参照点としての一つです。
まずはなんと言っても
わたしはね、わたしのために、かわいいの
や
女性がパンツスーツ姿で出勤することが当たり前になっていった過程
など、主人公の知世や、知世周りの強くて聡明な大人の女性が、今よりずっと女性の社会進出が遅れている社会でも自分らしく生きる姿が描かれています。このあたりはエンパワーメントに満ちている。ただし、これだけだと、ベティ・フリーダンが批判されたように、エリート女性だけのフェミニズムになってしまいます。
そこで逆に知世の周りの友達(大人含む)を通じて、人の弱さというかフラジャイルな感覚に、とても優しい視線を向けています。
男らしさ、女らしさにこだわらなくていいんだと主張したり、今よりずっと認められる生き方が狭かった時代に、あえて自分の夢を追っている人々を肯定的に描いたりもしています。
知世のいとこの子が、マッチョな思想を押し付けようとする父親に、「お父さんとは違うけど、これが、僕の思う強さだよ」と笑顔で胸を張って答えるシーンとか、父親に捨てられた娘が、間違いだとわかっていても父親に執着し続ける姿を描いている回は今でもすごく好きです。
また、この作品を見ていると、今でも色々問題はあっても、その頃より着実に問題は前進していて、人々は自由になってきていると思います。
そんなわけで、大学の1年、教養学部においてジェンダーという概念に触れたとき、ああ、あの作品で言ってたのってそういうことだったんだな、と連想したものです。
https://mangapedia.com/Papatoldme-2dzin87fc
なので、この作品で描かれるバランス感覚が、私の参照点なのです。
もちろんこの作品には先程も述べたように、性的な要素も、(チセの周りには)経済的な貧困などの泥臭い問題も全くと言ってよいほどなく、ひたすらにおとぎ話のような幻想的な空気で包まれている優しいおとぎ話の世界なので、これをもとに社会の方を語るつもりはないです。
それでも登場人物たちの感性は十分参考になると思っています。
この作品にはフェミニストも登場しますが本当に格好いい人です。というか、もともと大学に入るまではフェミニストというのは男性がなるものだと思っていました。
フェミニストって、理論ではなく、日常における実践が大事だと思ってます。そうしているうちにますます相手への敬意が育っていくものではないでしょうか。
以下は蛇足です。
ネットでみかけるフェミニズムって、この実践が見せられないせいか理論ばかりが先鋭化して言ってる気がしてつらいんですよね。ちゃんと学術的な議論の前提を身に着けている人たちによるアカデミズムの世界でやるならそれでもいいのですが、しろうと理論の応酬は完全に不毛オブ不毛です。
結局のところ、承認欲求やフォロワー獲得のために、セルフまとめブログ化して、デマを厭わず積極的に男女を分断しようとする人ばかりが目立っています。ぶっちゃけ評価がやらおんとかはちまと同じレベルの人がゴロゴロいます。
(もちろんそれに輪をかけてアンチフェミの人が嫌いであることは言うまでもありません。いま現状、フェミニズム関連の話はゲハと同じレベルの低品質になっています。)
学術面で頑張っている人以外で、ネットでは、古くて不十分と言われる本作品を読むよりも有意義なフェミニズム活動をしている人を見たことがないと言ってもほとんど過言ではないと思います。
私は、何度も言っている通り、フェミニズムそのものには敬意を持っています。でもそれはゲームにおいてゲーム開発者や任天堂を尊敬しているということです。ゲハ戦争をしている人には軽蔑しか感じないように、ネットのフェミニズムには全く敬意を持っていません。
私はもうネットにおけるフェミニズム関連の言説には心底辟易していますので、そんなものを読むくらいだったら、ちゃんと書籍でフェミニズムの本を読むか、古臭いとか現実的でないと揶揄されているこの作品を読み返す方を選びます。