4月1日なので「嘘」に関連する話題でも。
最近の世界情勢を見渡すと、何が真実かよりも、何が多くの人々の感情を揺さぶるかということがより重要視されているように感じます。まさに「ポスト・トゥルース」時代に突入してしまったと言えるのかもしれません。そしてこうした風潮は、安易な多数派偏重を生みます。これは、少数意見の声に耳を傾け、多様性を尊重し、皆で結論を導き出すという、民主主義の本来の理念に反するものです。
私たちは、ついつい自分が主流派・多数派に属していると思い込むことで安心を得ようとします。翻って、自分と異なる他者に対しては「変わり者」や「異端」のレッテルを貼りがちです。一方で、多数派に属しているつもりだった自分が、何かのはずみで突然「異端」の側に立たされてしまうという事態が、いとも簡単に起こりえるのです。だからこそ、多様性を尊重するということの重要性を、常に強く意識しなければならないのです
十分な吟味なく表層的に抽出した、多数とか平均といった結論は、社会を的確に捉えたものにはなり得ません。むしろ、自分が「この人なら」と思える友人や同僚、先輩ととことん話をしてみて、その人が何を考え、どんな思いで行動しているのかを、じっくり聞くことの方が、得るものは大きいはずです。
consummatoryな感覚を分かちあってほしいと思います。自分も他者もそれぞれに、ともに心躍らせている、そのような質の高い「共感」こそが、新しい社会を望ましい方向に向かわせる推進力になると私は考えます。全員が一つの幸福に向かうのではなく、多様な幸福が共存し、緩やかに結合する。そうした社会のあり方を、まさにともに心躍らせる活動として模索してください。
現在のネットに見られるような「質の低い」共感から「質の高い」共感が今後重要になってくるであろう、というお話です。
「質の低い」共感はデマやフェイクニュースに対してきわめて脆弱
25歳女性「レイプされ、頭が真っ白になった」
— なる (@icamusu) 2019年3月28日
静岡地裁「頭が真っ白になったなら拒否していないはず。よって合意のセックス、無罪」
12歳女児「父親にレイプされた」
静岡地裁「子供の言葉は信用できない。よって合意のセックス、無罪」
静岡地裁やべぇな
このデマツイートが拡散されて、そのあと事実を確認せずに、間違った憤り方をしている人たちが大勢湧くという地獄絵図が展開されました。
法の知識もなく、事実も確認せず、与えられた断片的な情報に踊らされ、思い込みだけで現実に迷惑をかけるのは論外でしょう。善意だとか正義だとか、動機が正しければたとえ間違ったことで人を攻撃しても問題がないと思っている。怖すぎでしょう
そうした動機は間違ってないのに、行動が完全に間違ってる「正義ごっこ集団」に対して、私と違ってやんわりとたしなめてる人たちの発言をまとめました。
私はこの件、イラっとしてしまったので上の人たちのように冷静にたしなめることは難しいでので、こういう風になだめる語りができる人はすごいなと思います。
不安の利権化に対して警戒しよう
「南京大虐殺」問題化するゆらぎ荘問題 - この夜が明けるまであと百万の祈り
不安のようなものでも、組織化されると一定の「権力」を帯びるようになる。「利権」と呼んでも良い。不安利権は、やがてビジネスになり、政治的な運動の体を成すに至る。こうなるともはや無害ではない。
復興の妨げになり、差別の引き金になり、ヒステリーの温床になる。
不毛な議論の周辺では、不毛なレッテルが大量生産され、それらのレッテルが思考停止を招く。言葉が発明される。レッテル貼りが横行し、リストが作られる。かくして、議論は死に、論争は南京化し、真実は虐殺される。
もちろん今回のデマで人が踊らされた背景に、「伊藤詩織さんの事件」や「性暴行」事件に対する司法への不信感があることは理解しています。
だからといって、こんなバカな人たちが「私刑」をすることが許されるような状況はまずい。このまま放置していたらこのバカな人たちは「頭はよいが悪意を持つ人間」に利用されて、善意で取り返しのつかないことをやらかしかねない。
被害者意識の反対語は当事者意識。当事者意識のないネット民の正義ごっこは「ワイドショーみながら好き勝手いうおばちゃん」よりタチが悪い
この人たちはバカですが、バカであること自体はそれほど問題はありません。
問題なのは、徹底的に当事者意識がないくせにやたらとやる気だけはあることです。
自分たちは、安全圏から、リスクを考えずに、いやリスクを意識しないから「正義ごっこ」を気軽な気持ちでやる。
銃殺すべき「無能な味方」にしかなれない。
どんな話題であっても、こういう人たちは存在そのものが有害でしかありません。ただただ黙っててほしい。
「自分が間違ったデマにのっかって人を傷つけるかもしれない」という怖さを知らない人間ほど怖いものがない。
偏見によって、深く考えずにデマに踊らされて間違った批判を平気でやるような人たちのいう正義など、ネットにとって有害でしかありません。自分たちが有害なことをしうる存在だという自覚を持ってもらいたい。
tyoshiki.hatenadiary.com
シュナムルに踊らされた数名のバカを思い出して非常に不愉快な気持ちになりました。
あの時は、当事者意識がなく、デマに騙されて気軽に人を攻撃する癖に
間違いを指摘されたら、デマに騙されたことを反省するでもなく、逆切れしてデマを指摘した人に嫌がらせをする。
精神が小学生で止まっているような人たちが何人かいました。そういう幼稚な精神性だからこそ、安易な正義ごっこなんかにはまるんでしょうけどこういう人たちに、自分たちがどれほど危ないことをしてるか自覚してもらうにはどうしたらいいんでしょうね。
私はもともと大学の時はフェミニズムというものに敬意を抱いていました。何人かの人は、数年前まで私が、その当時から批判されがちだったフェミニズムをかなり擁護していたことを知っていると思います。(私も十分理解できているわけではないし、何人か頭のおかしい人はいるのは認めるがそれでもフェミニズムの理念自体は決して男性にとってもマイナスになるわけではないと主張していました)。
今でも個人単位ではフェミニズムというものを真剣に考えている人で尊敬している人はいます。(アカデミズム寄りの人が多いですが)
でも、特にはてなブックマークでフェミニズムごっこをしている人のふるまいにはかなり抵抗を感じるようになってしまっています。この人たちは自分たちが、フェミニズムの進展にとってどれほど害のある存在になっているのかちょっとは自覚してほしいなと思います。この記事では名指しはしませんが、あなたがたのように正義ごっこがやりたい人、フィクションを消費したほうがいいと思います。現実に口を出すにはあまりにも怒りに快感や報酬を求めすぎです。
ただ、私はフェミニズムよりも、棘でよく見かけるアンチフェミ系のまとめとかの方が嫌いなんですよね。
けもフレ2でも、イケハヤとかでも、アンチの人の行き過ぎた感じが苦手。
ネットフェミニズムも、あれ実質は韓国のメガリアとかといっしょで、フェミニズムではなくて「男へのアンチ」ですよね。前々から、フェミニズムとミサンドリや男しばき隊の人は分離してほしいという気持ちが強いです。
韓国のゲーム業界において「フェミニズムが反社会的と扱われている問題」に関するメモ - この夜が明けるまであと百万の祈り
私は以前特定個人のアンチをやってたことがあって、そのむなしさは痛いほどよくわかっているので(やらないとわからんかったんか!という軽蔑や批判の声は当然だと思いますので受け入れます)、今リアルタイムでなにかのアンチ活動に従事してる人ってそれだけで警戒してしまいます。「何かの問題を指摘すること」と「アンチ活動」の間にはかなり大きな隔たりがあって、そこを踏み越えると後は地獄です。
自分では判断が難しいと思いますが、普段から怒りを制御してただしく「批判」することを心がけたいところです。