隙あらばランス10の宣伝をするブログですこんばんは。
さて、いろんな感想を読む限りドラゴンクエスト ユア・ストーリーの終わり方は「第四の壁」を壊す系のオチだったようです。しかし、その取り扱いにおいて松本人志の映画並みに出来が悪くて、プレイヤーは思い出をうんこちゃんにされた気持になってしまって憤っている、と。
「第四の壁を壊す」系の話は人気はあるのですが、奇手であるために、取り扱いを間違うと大惨事になりやすいジャンルです。観客のニーズをちゃんと認識してない監督が手を出すべきではないでしょう。
「第四の壁の破壊」を積極的に楽しめる人たちは、映画に対して「日常との接続」もしくは「日常の拡張」を求めているのではないでしょうか。彼らにとって映画とは、つらい現実世界から逃避するための閉じた箱庭ではありません。つらい現実に接続することで現実がおもしろくなる、優秀な機能拡張ツールなのです。
まして、映画の中の登場人物が観客に話しかける、くらいならまだしもプレイヤー側を映画の中に引き込む系の話はよほどうまくやらないと難しく、特に「この作品自体がゲームだった」みたいなメタフィクションは相当意識してやらないと失敗が約束されているといってよいでしょう。
もともと「あたれば大きいけど、非常に掛け金が大きくなる取り組み」なわけです。ましてドラクエの場合はオリジナルではないので、今まで積み重ねられてきたドラクエのブランドやドラクエを愛してきたプレイヤーの思い出、いろんなものが乗っていました。はてして監督にはどれほどの覚悟があったのでしょうか。
さて、見てもいないドラクエ映画の話はこのくらいにしておいて。同じ「第四の壁を壊す」というやり方において、ここ最近で最高の終わり方を見せてくれたのがランス10です。
なので「ドラクエ ユア・ストーリー」はどうすべきだったのか、という答えはこの作品をプレイした人ならみんなわかるはずです。
ランス10は「この作品自体がゲームだった」などというチープなオチではありませんが「第四の壁」を壊す作品です。しかし、第四の壁を壊した時に「ゲーム中の存在はただの作り物に過ぎなかった。ただのデータだった」みたいなオチにはなりません。そのことによってそれまでの冒険が無価値になることはない。むしろ「第四の壁を壊す」ことによって、ゲームのキャラクターはプレイヤーである我々の世界とは独立した存在として成立することができるようになります。しかも、ちゃんと丁寧にその伏線が張られています。 突如不意打ちのように観客を殴りつけるようなことはしません。 なので、わかった後2周目も楽しめます。(実際私は8周くらいしました)
「ドラゴンクエスト・ユアストーリー」ではどうもプレイヤーが主で、ゲームの世界は「ただのデータ。ただの遊び」であり、電源を押せば消えるもの。いつか卒業して忘れ去るべきもの程度の扱いとされてしまったそうです。一方、ランス10の場合、プレイしている間プレイヤーは確かに世界の中にいるし、ゲームが終わった後、電源を押したら消滅してしまう存在ではなく、ちゃんとその世界はどこかで存続しているのです。ランス10は「ゲームをプレイしている最中には」絶対的な力関係の差がありプレイヤーはいつでも世界を終わらせることができます(「なにもなかったよ…」)。しかし、ゲームを最後までプレイして、エンディングを迎えた後であれば、ランス10の世界は、ゲームを切ってもプレイヤーの意志で終わらせることはできない、対等な世界になります。
さすがに100人が100人とも満足する終わり方ではなかったみたいですが、ドラクエ5と違って30年間ずっと一つのシリーズとして続いてきた作品の終わり方として「第四の壁を壊す」という奇手を用いたにもかかわらずErogameScapeにおいて多くのプレイヤーが最高にちかい評価を付け、終わった後もランスシリーズの世界を愛し続けるという結果になっています。
というわけで今からでもいいからみんなランス10をやるんだ。
↑ランス10
ランス10プレイした人は私の記事はどうでもいいのでこの記事を読んでください。すべてが説明されています。(この記事もっと評価されるべきだと思うんだよ)
skipturnreset.hatenablog.com
ランス10をプレイしたことがない人は、ランス10をプレイしてから上の記事を読んでください。以上です。
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