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フェミニズムの一人一派について

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一人一派が最近無条件で揶揄されていますが、わたしは「本来の趣旨の」一人一派は重要な考えであり支持しています。

 

(これに限らず、わたしはフェミニズムも支持してますしミソジニーには明確に反対しています。私はネットで暴れてる狂ったフェミニストが嫌いなだけです。オタクコンテンツが好きだけど特定のオタクが嫌いな人と同じような感覚だと思っているのですが、一時期は特定のフェミニストを批判するとすぐミソジニーのレッテルを貼ってくるただのキ○ガイがいてすごく辟易させられました)

 

 

なぜ一人一派という考えが必要なのか。そもそも一人一派の本来の趣旨とはなにかを整理しておきたいです。

 

本来この言葉が意識していたのは「マイノリティの発言は、個人の意見であっても集団と同一視されやすい」という状況です。

 

https://www.tyoshiki.com/entry/2018/08/11/213949

 

少数民族の人が個人として発言した際、個人としての発言とみなされない。その人に少しでも過失があると集団全体の過失とされ、また個人の発言にすぎないのに、その民族全体がそういう考えだから個人もそれに沿った発言をするのだ、とみなされたりします。

 

こういう扱いをされると、個人としての発言ができなくなります。

マジョリティ側が当たり前のように個人として発言することが許されて、自分の発言が即属する集団と同一視されたりすることはないのに対し、一つ一つの発言に重責がかかりすぎます。

 

こういう扱いをするのは直接的ではないですが、間接的な言論封殺と言えます。自由に発言をしてもいいよ。でも君たちだけは普通の人の10倍の税金を課すよ、と言ってるようなものだからです。

 

こういう風潮から生じるプレッシャーのもとで口をつぐむ人は本当に多いのです。

私も数年前までは周囲を気にして発達障害者として発言することはできませんでした。とある魔理沙アイコンの人が発達障害者代表みたいなツラをしていい加減なことを言ってたときは強く諌めたりもしたこともあります。振り返ると、自分自身が周りから受けてる重圧を内面化してたということてすね。「発達障害と言っても色々あるよね」が当たり前に認められることはとても重要でした。

 

 

フェミニズムにおける一人一派も、最初はそういう趣旨だったそうです。つまり、一人一派という考え方は本来は「個人が、自分の話を、自分の責任で発することができる」という当たり前の権利を求める趣旨なのです。わたしはこの趣旨での一人一派という概念は支持します。

 

 

※以下は後で消します

 

 

 

ただ今の状況はだめだと思います。

なぜかというと、フェミニズム、アカデミズムにおいてもツイッターフェミニズムは同調圧力が高まりすぎて、この一人一派の概念を自ら殺すような状況になっているからです。

 

個々人の自由を尊重するということは、間違った意見であれば同じフェミニズム内でも批判的な言動が当然のように許されている、ということです。

外部に対してもそうですが、それ以上に内部で「過剰な思想の拘束」が起きないということがとても大事です。「フェミニズムを名乗る以上誰それの意見に従わなければならない」だとか「フェミニズム批判するやつは皆ミソジニーだ!名誉男性だ!」などとというような恐怖による縛りがないのが正常です。

 

実際に海外においてフェミニズムはいろんな分派にわかれ、それぞれを痛烈に批判し合う関係にあった時期があるようです。最新の状況は不勉強なのでわかりませんが、こういう状況であれば納得です。

 

観測範囲の問題かもしれませんが、日本のネットにおいて、フェミニズム界隈ではあまりこの自由であるとか、発揮されていないように見えます。

 

太田氏や千田論文に対する批判の弱さや、宇崎バッシングにおける無理筋の仲間擁護など、kutooの石川氏に対する態度など明らかに違和感を感じる態度が目立ちました。

 

さすがに上野千鶴子さんに対しては批判する声も目立っていますがそのくらいかな。

 

このあたりからフェミニズムが求心力を急速に失って下火になっていることを考えても、

 

 

 

 


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