トモダチゲーム - 原作/山口ミコト 漫画/佐藤友生 / 【第94話】「正義の裁判」 | マガポケ
インターネット論争においてめちゃくちゃ汎用性が高そうなコマが誕生してしまった……。
インターネットの論争の9割はこの一コマでケリがつきそう……。
というわけで、トモダチゲームのラストゲーム。「友断ちゲーム」がとても面白くなってきました。
バカの考える正義は純粋ゆえに力を持つが、それ故に必ず頭のいい人間に利用される
正義という言葉は力強い。
人に勇気を与えるものだ。
だがその反面、どうしようもない弱点を抱えている。
「正義は矛盾を許容できない」
正義に類するたくさんの言葉たち、それらを力強く美しく見せている理由は一貫性だ。
一貫性があるということは、それを信じたものを裏切らない
正しく導いてくれることを保障してくれるようなもの…のように思える。
だからこそ人は正義という存在に惹かれるし
心が弱っているものは、それに依存してしまう。
だが、残念ながら、人は一貫性なんてない矛盾を抱えた存在。
人は頭で考えた正しさの通りに生きていけるようにはできていない。
時には正しく、時には怠惰に。
白か黒ではなく、灰色な人間がほとんどだ。
しかし、一度正義を口にしてしまったものは
グレーな存在を許すことができない。
なぜなら、正義を信じ、よくあろうと必死に頑張っている人間たちがその例外を許さないからだ。
だから、たとえ相手が一番大切な友達だったとしても、
それが白ではないとわかればきりすてなければいけない。
一貫性という幻想を護るために。
最初は〇〇を護るために始めたことであって
それが正義と名乗ったら最終的には〇〇を殺すことになる。
これが惨劇だと?本当の惨劇が起きるのはこれからだぞ。
ちゃんと経験を積んだ大人なら、誰しも知っていることだ。
正義が根を張った場所では必ず「悪」が存在し、「悪」の存在が認められると「被害者」が増殖し、加害者の姿が隠蔽される
「悪」の存在が認知された瞬間に、なぜか被害者が続出する。
この時「悪」とされたものは何していない。
加害者は他にいる。
にも関わらず……
被害者がたくさん出ている間、加害者たちは見つけらず
代わりに「悪」とされたものにだけヘイトが蓄積していく。
「悪」の存在が騒がれている間、これらの「加害者」は不可視化される。
悪が存在する間は、その集団の中で起きている不幸な出来事はすべて悪のせいにされる。
悪という存在が暗闇のヴェールがおろしてくれている間は
その集団の中で他の人間がやった加害行為がすべて覆い隠される。
全て「悪」とされた存在が罪をかぶってくれる。
自分の加害がとがめられないとわかると
集団のメンバーたちは、ここぞとばかりに暴言を吐き、暴力をふるい、集団内の他者を攻撃し始める。
そして集団内からは安心感が失われ、危機意識が高まって余計にみんな攻撃的になる。
「やられる前にやれ」という精神状態になっていく。
こうして、加害者が糾弾されない中で被害者だけが増えていき、傷ついた人ばかりが増えていく。
「トモダチゲーム」 個人的には中だるみを感じていたけれど、ラストゲームになってからまた面白くなってきた
「トモダチゲーム」は個人的には10巻~13巻あたりがピークでそこから急に展開がgdgdして読まなくなってたんだけれど
最終章に突入してからはまた面白くなってきました!
要するに、私は「〇と〇」についてさきにネタ晴らししてから引っ張る展開が嫌いだっただったようです。
このゲーム、初期5人のメンバーは友一と志保以外魅力があんまりなかったので、
ラストゲームの展開は本当に俺得って感じで面白いです。
余談 以下の内容は20日になったらnoteに移転します
今回の「温泉むすめ」騒動はまさに被害者なき空騒ぎという感じでしたね。
リアルバニシング排斥婦人会行為をしてた人は
明らかに「怒ることが目的化している」ので「アドラー心理学でも勉強しましょう」っていえば終わりだけの話だった気がします。
まぁ私は、アドラー心理学嫌いなんだけどね!
もう一度言いますが、「好き嫌い」と「被害者がいる話」の区別くらいはつけましょう。
「自分の不愉快」を「社会的正義」と結びつけようとする人間はどうかんがえても危険です。
一方で、表現の自由のために戦っているとか言ってる人たちは
今回のリアルバニシング排斥婦人会概念さんを責める資格があるのだろうかというのも思います。
リアルバニシング排斥婦人会概念の人の頭の中って多分ずっと前から
「女性差別にあらがおうとすると、それに反対する人間が私を寄ってたかって攻撃して黙らせようとしてくる。
そんなやつらには絶対に屈しない。まとめて駆逐してやる」という駆逐系と姫騎士系をブレンドしたような思考だと思うんですよ。
だから攻撃されたらより強い攻撃を返そうとする。
んで、表現の自由を強調しすぎる人も全く同じ思考だと思うんですよね。
「あいつらが攻撃してくるから悪いんだ。やられたらやり返す倍返しだ。あいつらを絶滅させるまで戦いは終わらない」
なんだお前らレベル一緒じゃん、って思ってしまう。
正直私はどっちも嫌いです。
DD論ではないです。どっちかというと若干オタク側の方がましだと思っています。
でも、レベルは関係ありません。私は、どっちも、嫌いです。
どっちも相手を悪と認定して、すべてを悪のせいにし、
その敵の陰に隠れて愉快犯として両陣営に嫌がらせをやってる誹謗中傷集団がますます勢いづく構造そのものが嫌い。
これはネタですが、
一般人的にはリアルバニシング排斥婦人会概念も表現の自由ゴロも
まして、grgdsやagricolaなどの誹謗中傷人間たちも、全部有害でしかないです。
ズイショさんが以前長谷川豊さんを指して
「対話をするためには、対話を妨げることで利を得ている人間を排除するのがファーストステップになる」
みたいな話がとても印象に残っていますし私もそう思います。
まず誹謗中傷を平気でやるような人間に発言権を与え、あまつさえいいねが集まりやすい状況は何とかした方がいいと思います。
はてなブックマークはそういう誹謗中傷大好き人間がいいねを集めやすい最悪の構造なので
「ともあれはてなブックマークは滅びるべき」は常に言い続けていこうな。
フェミもオタクも、「戦い方」ではなく「勝利条件」を変えるべき
Twitterとかはてブみたいな文字数が限られたところで政治めいたことを主張していると
どうしても「単純明快で100:0の正義」を求めるのかもしれません。
そんな必要はないし、それは無理です。
「話し合って妥協点を見出す」というのが当たり前になれば良い。
今みたいに「相手陣営にイチャモンつけられたら問答無用でサドンデス」みたいな殺伐とした世界で対話ができるわけがない。
ではなく話し合いの結果直すみたいな感じの動きになれば勝利だ。
こういう仕組みにすれば、話し合いに参加できない放火魔は消えるからだ。
リアルバニシング排斥婦人会概念さんのように「過激な言葉で煽る人」は対話の場においてはただの有害な存在として排除される。
対話の場が主体になればこういう人たちは必然的に発言力を失う。
結局、リアルバニシング排斥婦人会概念のような存在がはびこるのは、両者の殴り合いにエンタメを求めてる低俗な人たちが多いせいだからでしかない。
ぶっちゃけ、私は「そういうやり口」はとても得意です。
私に嫌がらせをしてくる人間を晒したり、嫌いな陣営の弱みを見つけて攻撃するなんてのは倫理さえ捨てれば簡単です。
でも、それができたからなんだというのかという話ですよね。
そういう方法は好きではないです。そういうやり口が早く有効でなくなってほしいなあと思う。