私はトーンポリシングはある程度会って当然だという考え方をしています。
つまり攻撃的な意志が強かったり、相手を割るものであると決めつける「価値判断が強く入っている物言い」だと
相手からネガティブな印象を受けたり、言ってる内容そのものに減点をくらうのは当然だという主義です。
www.tyoshiki.com
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そのくらい「攻撃的なものいい」については否定的です。
「言い方がキツイ」と「攻撃的である」は違うと思うんですよね・・・
ただ、「キツイ言い方をする=良くないことだ」とも思ってません。
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私自身、他人からは「主張が強い」「あたりがキツい」と言われることが結構ありますがじゃあ「当たりを柔らかくしなければいけない」のかというとあまりそう考えてません。
そういう評価ディスカウントを受け入れたうえで、それでも必要だと思ったら私はこれからも「いわゆるきつい言い方」はすると思います。メンタル弱すぎて耐えられない人相手だったら多少は配慮しますが、それ以外では本的に変える必要はないと考えています。
キツいは「余裕や遊びがない」がスタート地点であってあくまでルーズの対義語であり、それ自体は価値中立的ではないかと思う
キツイのイメージは、英語でいうと第一義的には「tight」です。ルーズの対義語です。
ウエストがキツいとかいうのと同じで、ただ余裕がないとか遊びがないというだけです。余裕がないとか遊びがないのはだいたいネガティブな状況だからネガティブなイメージと結びつくことが多いだけであって本来のイメージ自体はあくまで価値中立的だと思います。
ただ、「言い方がキツイ」っていう時は間違いなく「あたりが強い」「激しい」「プレッシャーが強い」(severe、hard)の意味に取られがち。
特にintenseと訳すのであれば、これはもう「情熱的な」とか「熱心な」という意味になるし他にも厳格(integrity)とか厳密(strict)という言い方もできます。このあたりは、毛づくろいを優先してなあなあで済ませないと言ってるだけで、状況によって良い意味に取れることもあると思う。
ついでだから日本語の辞書の意味も列挙しておく。
1 物事の程度がはなはだしい。「—・い勾配(こうばい)」「日ざしが—・い」
2 鼻や舌などへの刺激が強い。「—・いにおい」「—・い酒」
3 力の入れ方・加わり方が強い。「洗濯物を—・く絞る」「目を—・く閉じる」
4 ゆとりがなく、窮屈である。「帯が—・い」「去年の服が—・くなった」
5 規律・要求などが厳しい。「—・いおきて」「—・く戒める」
6 ある事柄をこなしたり、それに耐えたりするのが容易でない。「仕事が—・い」「からだが—・い」
7 気性が激しい。気が強い。「—・いところのある子」「目つきが—・い」
きつい状態が嫌いな場合、「余裕がある状態」を作るように意識したい
極論すれば、言い方を柔らかくしてほしいなら、お互いに余裕がある状態にすればいいと思います。
「今はなあなあでも良い状況だよ」「そんなに厳密に話をする状況じゃないよ」と共有すれば自然とキツさは取れてくるのかなと。
私自身は他人に対してキツい状態になりたくないし、他人も私に対してキツイ状態になってほしくないと思うのですが
自分の仕事が遅れたり、正確さが必要な時にいい加減なことをいった時きつい態度をとられることはあります。
そういう時はまぁ仕方がないのかな・・・とは思ってます。
さすがにそこで「そんなきつい言い方しなくてもいいじゃないか」と逆ギレはしないようにしたいと思ってます。
逆に余裕が十分ある状態でもきつい言い方をする人がいたら「きつくする必要はないはずです」と伝えたいかなと思います。
それでもきつい言い方をしてくる人がいるとしたら、それはちょっと波長が合わないかなあって思ったほうが良いのもですね。
とことではてなブックマークって・・・
いつもただの通りすがりで何の義務もなく、状況的には全く自分の余裕が脅かされてるような状況じゃないはずなのに
なぜかいつも余裕がない、相手の誤りを少しでも許さぬぞという雰囲気が漂ってる人が多いですよね。
あれなんなんですかね?
みたいに思ってたらはてな運営がめっちゃ「憎悪を増幅するプラットフォーム」呼ばわりされててかわいそう。
なぜ他人の記事でこういった無関係な個人の誹謗中傷をやるのでしょうか。自分の責任で本人に言ってください。陰口でしかなく、ダサいです。
わたしの記事をダシにして、ほぼ無関係な人を誹謗中傷している人たちがいる、という状況は、かなり不快なものです。
個人攻撃に耽溺する人たちが溢れ、その言いっ放しをはてなブックマーク運営が許容しつづけている
誹謗中傷コンテンツをアルゴリズムによって評価しトップに出しているのははてな社です。はてなブックマークは、どうみても個人がケツをもつアーキテチャーではない。「インターネットにおいて意見を述べる自由」などたいそうなお題目を述べるのであれば、それに相応わしいアーキテクチャーをつくってから言ってほしい。どのコメントを優先的に見せるかというアルゴリズムを調整しているのははてな社だし、言いっ放しを許容しつづけているのもはてな社なのです
この記事書いた人の気持ちわかる~。
少なくともはてなブックマークの民度の低さを考慮した時にはてなスターを根拠にしてはてなブックマークのトップコメントを選ぶ機能はない方が良いです。この部分に関しては明確にはてブユーザーではなくはてな運営による記事の書き手に対する加害行為になっているケースがあると私は思う。
私がはてブ閉じるのも「私の記事を勝手に偏った人間のスピーカーとして使われてほしくないから」なんだよな・・・。
はてブ民嫌いだから、自分の文章をはてブ民に利用されるっていうのがとても不愉快です。特に違った文脈で利用されるのは耐え難いです。
この点についてはChikirinさんに全面的に同意します。