「構造」って便利な言葉ですよね
私は大好きです。あまり議論が得意でない相手とか、議論をするに値しないと思ったやつを相手にするときに
アウトレンジからボコボコに殴りしてスッキリするために意図的に「構造」について語りますって記事を書くことがあります。
構造は上位レイヤーの話のため、個別具体的な話を無視できるため、個別具体の話でしか思考しない人間を蹂躙することができます。
「私は構造について語っているので個々の誰かを攻撃してるわけじゃないし、個別の反論は一切受け付けません」という態度を取れます。
また、構造の話は100文字で議論できないので、はてブ民は反論ができず、構造の話を持ち出された瞬間、大抵の場合相手は捨てぜりふを吐いてさることしかできなくなります。
不毛なケンカを終わらせる時は、レイヤーをあげて雑魚をふるい落とすというのは常套手段になります。
あと構造っていうと「もっともらしく」聞こえるのですよね。
例えばTwitterで社会学者が嫌われがちな理由について、個々のケースを無視して「こういう構造があるからだ!」という話をでっち上げたりできます。
みんなが個別の話題について話ししてるときに、一人だけ「構造」の議論を持ち出すと、一人だけレイヤーが違う話をすることになります。
レイヤーが違うと、相手と対等の立場で議論することができません。
実際構造を議論することは重要なのですが、それは同意を取ったうえでやったほうが良くて、
同意がない相手にいきなり構造の議論を投げ込むと「何いってんだこいつ」となればマシな方で「何様だこいつ」となることが多いです。
ところが社会学者というのはその「構造」を議論することがお仕事なので、必然的に嫌われることになります
今適当に考えたのでぜんぜん違うと思いますが、なぜか「構造」で話をすると結構な人が騙されてくれます。
構造って言葉を使う必要は全く必要ないですが、なんとなくこういう風に言えばそれっぽく聞こえるという効果があります。
なにが言いたいかというと「構造」の話というのは
ちゃんと同じレベルで議論できる相手にふっかける時は「チート」みたいなもんだということです。
私もたまにやるので手口としてあまり教えたくなかったのですが
個別議論の話が終わっていないのに一足飛びに構造の話をする人はかならず何かしら思惑があります。
こういう話が出てきた場合、自分がちゃんと「一つ上のレイヤーの話についていける」という自信がないならそっ閉じするか
あえて無視して「構造の話は個別議論が終わってからだ」ということで個別議論に引き戻すというのを意識的にやったほうが良いです。
というのを踏まえたうえでけんすうさんのnoteを読んだ感想を書きます。