創作物に対してポリコレポリコレ言う人がちょっと行き過ぎてて怖いというお話。
ある意味批判する場合より、褒める場合にポリコレみたいな言葉を使うほうがよほどイラッとするかも。「ベイマックス」の時にも散々「ポリコレに配慮してるからいい作品だ」だの「ポリコレに配慮しないと世界に通じないよ」みたいなことが語られててうんざりした記憶がある。
「ゴールデンカムイ」をポリコレという軸で語ること自体はいいんだけど、「他の軸で楽しんでる人に殴りかかる」まで行くと病気でしょう
こういう記事が話題になってたそうで。
LGBTへの差別は良くない、内心思ってても言葉にするな、と言ってた人たち(その主張自体は問題ないのですが)が、ゲイが笑い者にされてる作品をポリコレ的に安心、と言ってて困惑している。
あれだけLGBTの味方という顔をして、差別について、思ってても口にするな、というラインを示し、こんな簡単なことも守れない奴はーとか偉そうに言ってて当の本人はこれかよ、と流石に呆れる。
実際の作品見るときは普通にほげたほげお的なものを見て笑ってしまうんじゃないですか。あんたたち概念ばかり先鋭化させて、自分たちが打ち上げた建前すら実践できないおバカさんですか、としか言いようがない。
そういう描写が出てくるところまで読んでなかっただけだというならなおさら問題。序盤だけ読んで知ったかぶりするということになる。最初から自分の理想の型があり、それについて序盤だけ読んで当てはまっているから素晴らしいとする、典型的な規範批評だ。
そういうのはもう三沢さんで見飽きた。
この人たちは、今回の自分の発言がいい加減すぎることについて反省していただきたい。それもできないならもうこの人たちの意見はかんぜんにポリコレ棒だ。ちょっと言ってる人おかしいだけで、そこに政治的正しさなんてないと考えざるを得ない。
というかですね、別に「ヒロインが男の性的搾取の対象にならないか」だけを一生懸命監視してるんですよね。それが一つの評価軸なのはもちろんいいんですが、それを全面に押し出して、他人の感想を否定するところまで行くとさすがに抵抗がある。
ゴールデンカムイ、面白いんです。で、それは大部分が作者の綿密な取材や画力、ストーリーの構築力や演出力の手柄なわけで、ポリコレ「だから」すばらしいって言い方をしたい人、政治的文脈でそれらの努力を掠め取ろうとしてません?
— 威岡公平 (@Kouhei_Takeoka) 2018年4月11日
特に雪原さんって人の進撃の巨人評とか町山さん評とか見てるとかなり病的に見える。とにかくちょっとでも女性キャラクターが男にこびた描写が有るともうそれだけで拒否感を感じたり「自分の感性は素晴らしくて、他人の評価は錆びついた感性って評しちゃうところ」とかは、ちょっと言い過ぎではないかな。また、くたびれはてこさんは相変わらず脳内の藁人形と戦っておられる様子でちょっと怖い。*2
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「ポリコレへの配慮」と「マンガを面白くするための配慮」は別物
と、私はついついポリコレの人への抵抗感が先に断ってしまうんですが、以下のツイートはそういう話ではなく「ポリコレへの配慮」と「マンガを面白くするための配慮」は別物だよという話をされていて興味深かったです。
ゴールデンカムイにポリティカルコレクトって言葉使うの違和感あるなあ。20世紀初頭の人間に極めて現代的な思想もたせるのがえらいみたいじゃん。ガルパンが、作者が意図したストーリーにだけ注目してほしいから誘目性の高すぎるパンチラを全部排除したみたいなものでしょ。臭み抜きって呼んでる。
— シュネーヴァイス (@5chneewei55) 2018年4月10日
具体例を挙げてまで説明するほどのことでもないけど、明らかにロシア兵でも通じる場面で敢えて露スケという言葉を使ったりするわけ。これは主人公が戦闘では苛烈な性格を表現するために必要な臭みなので残す。でもヒロインとの冒険バディ物をやるには男尊女卑や民族の偏見は邪魔だから臭みを取り除く。 pic.twitter.com/lVIY1cGf9Y
— シュネーヴァイス (@5chneewei55) 2018年4月11日
これを作者のセンスがいいとかストーリーテリングにおいて要素の取捨選択が巧みとか言うなら分かるけど、ポリティカルコレクトに配慮してるって言われるとちょっと違和感。ポリティカルインコレクトだから除いたんじゃなくて、読者の注意をミスリードしてしまうから除いただけでしょ。
— シュネーヴァイス (@5chneewei55) 2018年4月11日
「偶然あなたが少女が性的に搾取されるの見るのはゾッとするけど、死体を損壊したり動物を狩猟したりするのにはゾッとしない性癖だっただけでしょ?」って言い方、一番分かりやすいね。
— シュネーヴァイス (@5chneewei55) 2018年4月11日
なんか上手く伝わってないみたいですけど、ガルパンにパンチラは無いのに入浴シーンや水着が有るのは、少女を性的に搾取するのは政治的に正しくないからパンチラを排除したのではなく、試合のときは少女たちの緊張感や試合展開に集中してほしいからパンチラは抜いたという作者の意図の証拠です。
— シュネーヴァイス (@5chneewei55) 2018年4月12日
「臭み抜き」とポリコレに配慮は別物なのかという話ですが、臭みとは必ず悪というものではなく別のシーンで嗅げば良い匂いということも有り得ます。カレーは良い匂いだけどお刺身食べてるときは遠慮してよって話です。場合によっては政治的に正しいことの潔癖さの方が臭みになる場合もあります。
— シュネーヴァイス (@5chneewei55) 2018年4月12日
ゴールデンカムイだと露スケが放送禁止用語なのでアニメではロシア兵になってたそうで、ポリコレに配慮という観点からすればこれで作品はより洗練されより良くなったと捉えるべきなわけですが皆さんどう思いますか。臭み抜きという評価軸からだと敵に容赦ないことの臭み抜きすぎじゃない?って話です。
— シュネーヴァイス (@5chneewei55) 2018年4月12日
作品のために反ポリコレが許されるならオタクいじめ作品とかもいいのかって意見ですが
— シュネーヴァイス (@5chneewei55) 2018年4月12日
1・必要だと思うならオタクいじめの様子を作品に盛り込んだらいいんじゃない? 例えば昔のオタクの現実と題してドキュメンタリー作品作るのに、昔からオタク趣味は尊重されてきましたってやったらかえってヘン。
2・でも我々は読みたくないものを読まない自由を有する。買ってきた本が気に入らなければいつでも読むのを止めてゴミ箱に叩き込んでいい。オタクにとって臭いもの満載の本にオタクが付き合わなければいけない理由は無い。
— シュネーヴァイス (@5chneewei55) 2018年4月12日
3・誰かの萌えは誰かの萎え。合言葉だよ。
ってところでどうでしょう。
ポリコレって「規範批評」のための道具じゃないっていう当たり前のことを理解して欲しい
まず、批評者の中で勝手に理想的な小説像を作っておく。その架空の小説と、読んだ小説を比べて、ここが違うからお前の書いた小説は良くない。自分の言う通りに書かれていない小説は駄作だ、とケチを付ける批評方法です。
これね。別に規範批評するなって言ってるんじゃないですが、それに「ポリコレ」って言葉を持ち込んだらさすがに醜悪でしょうって思うんですよ。そういう行為は「ポリコレ」の概念や信頼性を思いっきり毀損する。この概念は、お前の内的規範を正当化するための道具か。ポリコレってその程度かと。自分が楽しめない、っていう自分の感覚を正当化するためにポリコレって言葉を使うの、ホントにポリコレの価値をめちゃくちゃ矮小化するからやめたほうがいいよ。自覚ないのかもしれないけど。
実際、この雪原さんという人は、達進撃の巨人を自分の都合の良い文脈でめっちゃくちゃ持ち上げた後、ミカサの唇がアニメでピンク色の描写になった瞬間にキレる感じだからもうこれ完全に規範批評ですよね。
ちなみに「7つの大罪」は私も主人公からヒロインに対するセクハラが作品の中で必要な臭みとは思えずむしろ作品を楽しむための邪魔に感じてしまい結局読むのやめたりしたので、この人達の気持ちがわからないわけじゃない。しかし私が7つの大罪楽しめない、というのはあくまで規範批評だって認識がある。それあるのとないのでだいぶ違う。ましていちいちそんなことに「ポリコレ」を持ち出すのはやはり抵抗がある。
ポリコレの人の「自分と違う意見の人達への不寛容さ」はホントにいろいろ軋轢生んでる
んで、「ポリコレ」とか「女性搾取」みたいな観点から語ろうとするのもいいとしましょう。あなた方にとってはその軸が何よりも大事なのかもしれないしそれはいいでしょう。
けど、作品の面白さとかを、他の要素すらなんでも「ポリコレ」って軸で置き換えようとするのはさすがに僭越でしょう。ポリコレは、単に特定の表現の有無をチェックするものであって、ポリコレに反してたら自動的に作品批判してもいいとか、ポリコレ要素がなかったら評価するとか、そういう飲食店の禁煙喫煙みたいな話じゃない。そこまでいい出したらもうロボットにすぎない。
みんなポリこれ以外にいろんな軸を持っていて、それぞれの基準でいろいろ思うところが有るわけですよ。そこ尊重しましょうよ。
「私は楽しめません」は全然OKです。物によっては「ゾーニングしろ」って言うのもいいよ。でもみんなが思い思いに楽しんでるところにズカズカと入り込んでいって、「この作品のポリコレ的な価値がわからない人間は駄目」みたいなこと言い出すののどこがポリコレなんですか。それは思想警察の間違いでしょ。
「自分の基準だけが正しくて、その基準に合致しない楽しみ方をしている人を否定し、あまつさえ侮蔑的な表現をする」までいくのはもう完全にアウトでしょ。あなたがたが「ポリコレ棒」っていわれるのはそういうとこやぞ。ただの自分の好みを「ポリコレ」って言葉をつかって他人に押し付けようとする振る舞い、どう考えても権力者のそれだしさすがにこれは「ポリコレ棒」って読んでも許されると思う
なんどもいうけど、自分たちの基準が絶対的に正しくて反対する奴は差別主義者だ、みたいにいうところから離れてほしい。あるいはそれを主張するなら自分たちの普段の言動にもっと厳格になってほしい。
他人には厳しいが自分の基準ガバガバな人の意見とか聞きたくないから
*1:三沢さんは規範批評に凝り固まった人だから、作品の数話だけ見て、自分の規範に当てはまるかどうかだけで評価してあの作品は良い、自分の気に入らない描写が少しでもあったらあの作品は悪い、と発言することが非常に多い。はじめてのギャルという作品はタイトルだけで否定し、シュタインズゲートは男の娘が出てきたというだけでリアリティがないからダメと言ったり、リゼロは序盤でヒロインに少し優しくされただけでよくあるハーレム物だとか言い出す。この人は作品を読んでるのではなく作品が自分の規範に合うか合わないかのチェックしかしてないのだ。そういう規範批評丸出しな態度がみんなからバカにされているわけだが、それでも彼はまだフィクション作品についての語りにとどめているだけ節度があるといえる。それと同じレベルの馬鹿げた規範批評を、普段現実においてもポリコレについて語っている人たちが口にしているのは救いようがない。
*2:くたびれはてこさんについてはネット上で悪意を浴びすぎたせいか、最近ありとあらゆるものに対して藁人形論法を使わないと話ができなくなってるように見えるので、いい加減ネット断って治療受けたほうがいいと思う。以前は嫌いだったけど今はもうそういう感情もなくなって、ただただ「お大事に……」としか言えない。山本直樹「ありがとう」に出てくる新興宗教にハマった母親みたいなイメージ