お気に入り度★★ (好きではないけどなんだかんだ最後まで読んでしまった)
おすすめ度 ★★★(私がひねくれてるだけであり、内容としては非常によくできている)
ペリリュー島はパラオ諸島南部の小さな島。グアムから1200km、フィリピンからは800kmの距離にあった
すでにサイパン島玉砕・グアム島玉砕など多くの島で玉砕が行われていたが、この島の日本兵はただ玉砕するだけでなく、とにかく最後の最後までしぶとく粘った。
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堀栄三が作成した『敵軍戦法早わかり』の作戦がちょうどこの頃から浸透し始めたということもあるが
それ以上にレイテやルソンでの決着のための準備をしている司令部が、玉砕することすら許さなかったからである。
ペリリューの戦いでは日本軍1万2000名が、制空権・制海権を完全に奪われて補給もない状態で71日間も粘り続け、最終的に日本軍は全滅したが、米軍にも1万名近い死傷者を出させた。
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日本兵がいかに手強くてヤバいやつらであるかをアメリカ兵に知らしめた戦いの一つ。
戦死者1,684~2,336名
戦傷者7,160~8,450名
マンガでは玉砕した中川州男を中心としたメインの舞台の話ではなく「生き残った34名」側をメインに描いている。
司令部全滅後も他の陣地に籠っていた関口中尉以下50名がアメリカ軍の掃討作戦をかわし遊撃戦を展開した。
1945年1月には関口中尉が戦死し、山口少尉を最高位として34名が生き残った。
その34名はアメリカ軍の食糧貯蔵庫を襲撃し3年分の食糧を確保すると
奪取したU.S.M1カービンを使いやすいように改造して武装したり、アメリカ軍の軍装を洗濯工場から奪取して着用するなど
アメリカ軍から奪取した物資や手作りの生活用品を用いながら2年近く洞窟内で生きながらえた。
1947年4月22日に第四艦隊参謀長澄川道男少将の誘導により米軍に帰順した。
この生き残りの34人は後に「三十四会」(みとしかい)という戦友会を結成している。最後の一人が2019年11月4日に亡くなった
ちなみにマンガは史実ではない。実際の登場人物は登場していない。
ノンフィクションには戦場のすべてが描かれているわけでは在りません。
元日本兵は、自分の不名誉なことだとか、触れられたくないことは語りません。
そういう意味では、フィクションとして描いたほうが、より戦争の真実に迫れることもあるのです。
参考にしたのはペリリュー以外の戦場の記録です。
ペリリューの生存者は少ないので証言も十分では在りません。
ですが、他の戦場であったことなら、ペリリューで起きていて不思議では在りません。
そうしたエピソードを描くことで、戦争の本質を描きたかったのです。
現実におきた戦争をマンガにする人間の責任ってあると思うんです。
それは一方的であってはならないということです。
外伝ではそれを補いたいという気持ちがありました。
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その分、ただひたすらに、戦争における死を惨たらしく描く。
幼き頃より、覚悟ある武人の死は美しいものだと思っていた。
だが、今間近に来て知る。
死というものは、実に汚らしくおぞましく無惨な悪臭を放つ。
ならば、言葉だけは美しく
「サクラ サクラ」
主人公たちがまともな戦いができたのは1日目か2日目だけで
後はひたすら逃げ回り、
暗くて蒸し暑くて無視だらけの洞窟の中で
飢えや病に苦しめられながら
死の恐怖に抗い続けるだけの日々だった。
自分は戦いの中の死を怖いと思ったことはありません。
敵の死も味方の死も自分の死も
でも、あの暗闇の中で腹が空いて
かすかに漂ってくる肉の匂い
身体がひとりでに動いて……
俺は知ってしまった。
自分の身体が、あんなに生きたがっていたのを
あんなに…あんなに…
俺は、もう…怖い。死が。
正直読み終わって何かを感じるということはなかったが、なんだかんだいって最後まで読まされてしまった。くやちい。