今回はガダルカナル島の戦いを中心に。
私は実は艦これちょっとだけやってたんですが、アイアンボトムサウンドのイベントが鬼畜すぎて無理だったのでそこで引退しました。
鉄底海峡とは、アイアンボトム・サウンドを日本語に訳したもの。
ガダルカナル島北側の海域で、第三次ソロモン海戦ほか多くの海戦による沈没船があまりに多いので、その残骸で海底が塗り固まったと言われたことからこの名がある。
それもそのはずで、史実においてはもっと地獄だったからね…しょうがないね……。
ガダルカナル島は、ソロモン諸島の中でも先端側に近い。
ミッドウェイ海戦をはじめとするMI作戦は、元々FS作戦というソロモン諸島攻略のための作戦だった。
そして、ミッドウェイ海戦は完全に失敗した以上、FS作戦が破綻したのは言うまでもなかった。
日本軍はとっととソロモン諸島からは撤退すべきだったが
先の記事で述べたように、日本はミッドウェイ海戦の大敗北をちゃんと認めなかった。
その結果、最前線に取り残された兵士たちが文字通り「捨て石」にされることになった。
日本海軍全体で見ても、制空権が完全に支配されているのに
中途半端に粘り、補給のために何度も輸送船や駆逐艦を無駄にしていくという最悪の展開をたどった。
「負けが確定している戦で粘るのダメゼッタイ」
「戦力の逐次投入ダメゼッタイ」などあらゆるダメダメ要素が詰まっている。
この地域に派兵された日本軍の兵士たちは
アメリカ軍やオーストラリア軍と戦って負けたというよりは
無能な指揮官によって無駄に殺されたと考えた方が良い。
単にガダルカナル島の兵士が悲惨だったという単体の話で済ませていい話ではない。
日本の軍隊というのは兵士の命を全く大事にしないことがよく分かるので、
戦争から生きて帰った若者たちやその子どもたちが「反戦」という形で共産主義に傾倒したのはそりゃわかるよ。
開始前から負けは確定していたが、1942年6月の時点ですでに「善戦する」ことすら困難になっていた
生存した航空隊は瑞鶴・翔鶴の他、軽空母の隼鷹・飛鷹・瑞鳳・龍驤に振り分けられた。
とはいえ、戦力の中心である一航戦が壊滅した以上大幅な戦力ダウンは否めなかった。
軽空母を持ち出したり戦艦を空母に改造するなどしてやりくりするしか無くなった
ミッドウェイ作戦で一気に勝負をつけるつもりだったから、備蓄も厳しくなった。
さすがに日本海軍も反省して、対策は行われたのだが
泥縄的な対策にとどまり、大幅な戦力低下という問題に対して根本的な解決には至らなかった。
天皇に権力を集中させすぎてしまった結果、天皇への忖度のせいで身動きが取れなくなっていた
とにかく海軍では、ミッドウェイでの失態に対して結果責任を厳しく追求し合うようなしくみがなく
それ故に抜本的な戦略の見直しがなかなか行われなかった。
その結果どうなったかというと
「トップは誰も責任を取らず、根っこを支える中間管理職たちが更迭される」というどうしようもない状況になった。
この体質は現代の日本でも大きく変わっていないように思われる。(モリカケ問題のときも結局犠牲になったのは・・・)
太平洋での制空権を失ったので、FS作戦は一次棚上げされてかわりにニューギニア攻略を決定。ソロモン諸島の兵士たちはその間米軍を足止めするという絶望的な任務を課せられる
空母がないと海上では制空権が維持できない。
なので、直接島々に飛行場を建設してそこを防衛拠点とするしかなかった。
この時点ですでに守りに入るしかなくなっており
ジリ貧なのだから長期的には絶対に負ける戦況になっていた。
そんな状況にもかかわらず「空母がないなら島に飛行場を作って防衛拠点にすればいいじゃん」ということでガダルカナル島に飛行場を作り始めた
日本軍にとってツラギ島泊地は最前線の良港であったものの
この地域で航空優勢を確保するにはラバウル・ラエの両飛行場は遠すぎ
ツラギの水上機のみでは航空戦力として非力であった。そこでツラギ島泊地を利用し易くするためにも
将来のFS作戦の実施に際してもガダルカナル島の飛行基地建設は現地部隊にとって極めて切実であった。
というわけでこの期に及んで、まだ「将来のFS作戦のために」とか言ってたのだからいかに日本海軍が状況を見誤っていたかという話になる。
しかしアメリカ軍がそんな展開を許すわけもなかった(8月)
第二次世界大戦前半においてアメリカ軍統合参謀本部が決定した対日反攻作戦の第1段作戦の名称である。望楼作戦と訳されることもある。
ただ、戦略的にはボロクソに言ってるけれど、この時点では日本軍はまだ強かった。
熟練のパイロットたちが残っていたからだ。
そのため、第一次ソロモン海戦では大きな損害を被りつつも、敵司令官の失策もあって相手を撃退することに成功する。
ただ、結果としてはむしろここで負けていたほうがよかったかもしれない。
この戦いでなまじ勝利できてしまったがゆえに、ガダルカナル島に戦力が多く送り込まれることに・・・
インド洋側に展開していた部隊もソロモン諸島側に移動し、ソロモン諸島が戦いの中心になる。
しかし、ガダルカナル島はラバウルからですら1000kmも離れており
制空権がない状態で補給をするということがとても困難だった。
しかし、ガダルカナル島での戦いは文字通り地獄と化し、ここで粘ろうとしたツケとして、日本軍全体もただでさえ少なかったリソースを一気に失ってしまった(8月~9月)
1942年8月7日 - 1943年2月7日の7ヶ月に渡って戦闘が続いたが
まともに戦闘が継続できたのは最初の2ヶ月だけだった。
後は戦闘する体力もない状態で、飢えと戦いながら逃げ回るだけの地獄が待っていた。
そもそも、日本軍は中国に対しては圧勝していたがそれは中国軍が近代化がまだだったからだ。
戦い方が日露戦争のときからまったく変わっていなかったので欧米諸国とまともに戦えるわけではなかった。
中国大睦での連戦連勝によって陸軍の力を過信しすぎていたことも戦略の失敗につながってしまった。
この戦いにおける海軍の消耗は後々にも大きな影響を与えることになる(8月末)
海軍陸軍ともにメンツを守ろうとして、ソロモン諸島に多大なリソースを注ぎ込んだが、犠牲が拡大するだけの結果になった。
最大の問題は「輸送」。制空権を握られた飢え、米軍が水上探索レーダーを完成させてしまったので、夜戦どころか輸送すらままならなくなった(9月)
ここから、日本海軍、特に駆逐艦の損害は「戦闘中の損害」より「輸送中に撃沈されるケース」がどんどん増えてくる。
これによって、前線に送り込まれた兵士たちへの輸送が十分にできなくなり飢餓との戦いが始める・・・
この状態になった時点でもう終わりでしょう。
食料や弾薬すらまともに届けられないのに降伏を許さないとかあまりにも酷い・・・。
戦う以前に「ガダルカナル島に輸送をする」という目的を達成するためだけに多数の犠牲が出る。艦これの主人公である吹雪もここで沈没(10月中旬)
金剛たちの活躍によってなんとかガダルカナル島の米軍飛行場破壊に成功するが、揚陸作戦はほぼ失敗した。
兵士の輸送だけ成功したが、弾薬や物資の輸送は2割り程度しか成功しなかった・・・。
絶望的な状況に送り出される兵士たちまじでかわいそう・・・
最終的に、ガダルカナル島では上陸した兵士のうち半数が飢えと病で死んでいった(10月末時点。なお撤収は翌年の2月なので、ここからさらに3ヶ月地獄が続く)
陸軍は、先ほど述べたようにそもそも正攻法でも厳しいのに輸送作戦が失敗したことによってまともに戦うことが不可能になった。
そのため「緑の砂漠」と呼ばれるジャングルで活動することを強いられることになった。
海軍と陸軍の連携が取れず、弾薬も食料も足りない状況で衰弱した状態の陸軍は称賛がない状態で総攻撃を行い、壊滅する。
この時点ですでに事実上の玉砕が行われていた。
10月24日に陸軍はバラバラにアメリカ軍陣地に攻撃を掛けた。
何よりも砲弾が不足していた。ジャングルの迂回路を進む主力には歩兵砲・山砲・速射砲・迫撃砲など小型で軽量の砲が配属されていたが、人力担送は困難を極め、大半は進撃路の遙か後方に取り残され、戦闘には間に合わなかった。
川口少将を罷免したことで右翼方面の連絡系統は著しく混乱していた。
10月26日には師団参謀がガダルカナル奪回は不可能との旨を辻政信参謀に報告し、作戦は中止された。
しかし、これでもまだ戦闘できただけでマシな方といえたかもしれない。
生き残った兵士たちは、もはや勝利する見込みが断たれたのに降伏も撤退も許されなかった。
そのため、ただジャングルの中を逃げ回りながら飢えと病で死んでいくだけの展開になった。
司令部が虚偽の報告を行っていたため実態がここまでひどいということがちゃんと共有されていなかったのである。
立つことの出来る人間は、寿命30日間。
身体を起して座れる人間は、3週間。
寝たきり起きれない人間は、1週間。
寝たまま小便をするものは、3日間。もの言わなくなったものは、2日間。
まばたきしなくなったものは、明日
ガダルカナル島を脱出した辻政信らが司令部に状況を伝えてようやく現状が把握されたのはだいぶ後の話だった。
ただし、この時点では日本海軍が意地を見せ、米軍をいったん撤退させるなどの踏ん張りも見せていた(10月末)
米空母ホーネットを撃沈、空母エンタープライズを中破という戦果を挙げ、戦術的には日本軍の勝利であった。
しかし多数の航空機と搭乗員を失い、また戦闘の主目的であるガダルカナル島飛行場も占領できなかった
とはいえ、翔鶴は被弾、飛鷹も離脱でこちらも余力はなかった。
日本海軍にとっての虎の子であった熟練パイロットは、ガダルカナル島の戦いまでの間にほぼすべて失われてしまった。
ガダルカナル島に取り残された兵士たちの救出作戦は次回。
ガダルカナル島に上陸した総兵力は31,404名。
撤退できたものは10,652名、それ以前に負傷・後送された者740名、死者・行方不明者は約2万名強。
直接の戦闘での戦死者は約5,000名、残り約15,000名は餓死と戦病死だった
日本側は激しい消耗戦により、戦死者だけでなく兵員に多数の餓死者を発生させたうえ、軍艦、航空機、燃料、武器等多くを失った。
それにしても、軽い気持ちでまとめ始めたけど文量が多すぎてめちゃくちゃしんどいな。
気合い入れて頑張らなくては。
・・・ということで、優しい方のジュースの差し入れお待ちしております!
以下はただの投げ銭用コーナーで中身はないです。