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「テートクの決断」4-2 「ラバウル1943」 今回はアメリカの本格侵攻前の話を描く前に「奇跡の作戦」と言われたキスカ島撤退作戦の紹介です

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久々に「テートクの決断」を更新します。


前回の記事でこのように書いてたので

www.tyoshiki.com

ここまでの流れで拾いきれなかった

・アッツ島の戦い(5月)

・陸奥爆沈(6月)

・キスカ島の戦い(7月末)


あたりを拾った上で、4-3ではソロモン諸島の日本軍がどんどんやられていくというつらい展開を取り上げていきたいと思います。

予定取り4-1と同時期に起きていた3つの戦いについて紹介します。

※まぁなんとなくおわかりだと思いますが、ブログでは記事の読みやすさのために時系列順ではなく作品の内容を適宜並べ替えて紹介してます。


この後(6月末)ついにアメリカと日本の数カ月の対峙は終わり、アメリカが本格攻勢を始めます。


もう日本はすでにガ島やラバウル防衛戦でボロボロなんですが、まだアメリカは本気出してないんですよね……


勝ってる側の「俺はまだ本気出してないだけ」はあまりにも恐ろしすぎる。



アッツ島の戦い :もはや取り残された兵士の救助のために貴重な燃料を使うことができなくなった。

ja.wikipedia.org

ここからついに公式に「玉砕」という名の救援放棄が始まった。

ニューギニアに関してはまだ戦局の問題であり、助けようとしたが間に合わなかったという側面がある。しかしこちらは明確な意思を持って見捨てることにした。

なぜかというと、この時点ですでに海軍が使用できる石油がまったくなかったから。

ガダルカナル島の戦いやダンピールの悲劇で輸送船団が壊滅してしまったため内地の石油すら不足する状況。

戦略的に重要度が低いアリューシャン諸島の戦いに回す余裕はなかった。

それでも濃霧さえなければ戦闘を避けて救出だけなら向かうことも出来たかもしれないが、天候も障害になった。


アッツ島の守備隊は非常に善戦し、アメリカ軍を大いに苦しめる活躍をしたが、国に見放される形で玉砕することになった。

倍の兵力のアメリカ軍を相手に日本軍守備隊は敢闘の末に全滅したが、アメリカ軍が払った代償も高価なものとなり、戦闘による日本軍とアメリカ軍の人的損失の比率が、この後の硫黄島の戦いに次ぐ高い比率となった

アッツ島守備隊の全滅は、日本国内で初めて「玉砕」という言葉で報じられ、国民に大きな衝撃を与えた

陸奥は戦うこと無く内地で爆沈

note.com


アッツ島の守備隊を見殺しにした代わりに、キスカ島の部隊は救出された(ケ号作戦)

ja.wikipedia.org

第二期撤収作戦は、第一水雷戦隊司令官木村昌福少将が収容部隊を指揮した。同艦隊がキスカ島を包囲していた連合軍に全く気づかれず日本軍が無傷で守備隊全員の撤収に見事に成功したことから「奇跡の作戦」と呼ばれる。

本によるキスカ島占領中に撃墜された米軍爆撃機のパイロットたちの遺体は丁重に葬られており
木製の墓標に"Sleeping here, a brave air-hero who lost youth and happiness for his Mother land. July 25 Nippon Army"
(祖国のため青春と幸せを失った空の勇士、ここに眠る。7月25日 日本陸軍)と英文で記されていた


ja.wikipedia.org

キスカ島撤退作戦では、隠密作戦に必要な濃霧が発生している天候を待ち続け、作戦を強行する事はしなかった。
1回目の出撃ではキスカ島の目前まで進出しながらも、霧が晴れた為突入を断念。
強行突入を主張する部下たちに「帰ろう、帰ればまた来られるから」と諭して帰投し、状況をよく判断した指揮を行った。

痺れを切らした軍令部や連合艦隊司令部からの催促や弱腰との非難にも意に介さず
旗艦で釣りをしたり、司令室で参謀と碁を打つなどして平気な顔をしていたという逸話がある

木村の敵味方を問わず常に人命を疎かにしなかったこと、
慎重且つ的確な指揮統率を行い正しい判断を下す判断能力、
そして運の強さは身内の日本軍よりも
むしろ戦後になってから敵手たるアメリカ海軍関係者や軍事研究家から高い評価を受けた。


キスカ島作戦及び木村少将のページにはてなブックマークがたくさん付いてるね。どうやら「たまむすび」で紹介されてたようです。


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